※当時の原稿そのまま記載しています。
民謡三階節と米山甚句で名高い柏崎は「北の京都」と云われる抒情のまちであり、日本観光地百選に海岸のベストテンに入選した「海のまち」であります。 市内を縦貫する鵜川の清流を境に、西は秀峯米山が日本海にせまるところ天然の一大公園地帯を形成し、奇岩重畳の海岸美の間に、番神、鯨波の両海水浴場を擁して、くめども尽きせぬ豊かな柏崎情緒をつくり、そこに天然の岩礁を巧みに利用した水族館があり、文永十一年三月十五日赦免になった日蓮上人が佐渡からの帰途内地上陸の第一歩を印した霊席をはじめ、米若の名調子で広く天下に知られている「お光吾作」の伝説など、数多い史実や物語りを持つ柏崎の観光季節は、先ず四月上旬からドッと押し寄せる近県の修学旅行団によって、華々しく春の扉が開かれるのであります。春も深くなり、夏にも間がある頃と初秋から晩秋のかけては、鯨波、米山三里の絶景を中心に各所にキャンプの村が現出し、名勝旧跡を探るハイキングの客、或は川魚釣りの人々で賑わい、夏は北陸随一を誇る景勝の地、遠浅の浜、番神、鯨波の両海水浴場に東都をはじめ県内外の海水浴客が殺到して参ります。 冬は地下一千五百三十四米、日本最深の霊泉で、慢性消化器病、新陳代謝病、全身病、不妊症、痔疾等の諸病に特効を持つ柏崎温泉は療養の客、清遊の浴客で大変賑わうのであります。 かくして観光柏崎は四季を通じ、各種の観光客の絶え間がないのであります。
又柏崎近郊には今はその殆どが開放された旧家の名園が少なくありません。米山、八石、黒姫の諸山を背景とする山の景、笠島、福浦の奇岩蒼海を眼下に見おろし、海上はるかに能登、佐渡を一望のうちにおさめる海浜の景、こうした名庭園を縦に横に結ぶ。名峰米山を中心とする県下の穀倉刈羽平野一帯の地域は早くも県立公園の予定地となっております。 翻って産業界は、一時衰頽を示して参りました西山油田も愈々帝国石油株式会社が三億万円を投じて、地震探鉱、重力探鉱等の物理探鉱法の活用により、徹底的に地下構造の診断に新分野を開き、眠れぬ資源に鋭意科学のメスを下しつつありますので、我が国産油界に一新紀元を現出するのも時間の問題となって居ります。 従って嘗つて「石油のまち」として天下に喧伝された吾が柏崎市が再び新しい時代の耀しい脚光を浴びて、製油界に大きくクローズアップされるであろうことは既に確定的の事実であります。 一方何年に一度は浸水の危険を感じていた柏崎駅を中心とする重工業地域も目下施工中の鵜川の改修により、完全に水魔の厄から救われる日を眼前に控え、曩に再開された柏崎、佐渡、新潟くぉ結ぶ三角ルート、及び柏崎の築港、白新線の開通による国鉄越後線のスピードアップ等交通事情の画期的革命と相俟ち、有り餘る天然ガスを利用する各種工業の躍進が期待されるにおであります。 吾が柏崎市観光事業の基本方針もその目標も、その悉くはこうした特殊の実情にマッチしたものでなければならないと私どもは考えております。 観光産業と云う言葉がよく用いられます。私どもは以上申し述べましたような柏崎の特殊性を観光を通じて皆様に御紹介申し上げ産業振興の扶けにすると共に、柏崎の史実、伝説、芸術、市史、市勢、地質地形、人物と人柄その他百般の事情を具さに皆様に見て戴き、知って戴いて互いの文化交流に資したいと思います。
柏崎の伝説は沢山の人の手によって公にされています。本編はこうした書物の中から十種を抜粋し編集したものであります。
本書によって少しでも観光柏崎に対する理解を深めて戴くことが出来ましたならば独り編集者の満足ばかりでなく原本執筆の諸先生方にも必らず喜んで戴けるものと存じます。
昭和二十六年八月二十六日