柏崎市本町一丁目から鵜川の大橋を渡りますと大きな坂道にかかります。
坂の中くらいのところ右側に虚空蔵と称する金比羅さんがあります。これを虚空蔵庵の金比羅さんとか笠降金比羅と呼んで居ります。この金比羅さんについてこんな伝説があります。
むかし柏崎の広小路に柿村と小槌屋と云う二軒の家がありました。柿村の家はおころも屋で金襴どんすの仕入れに毎年京都へ出掛けました。京都へ行くと必ず四国へ渡り、金比羅さんをお詣りして来るのでしたが、これにひきかえ小槌屋は貧乏でありましたから、京詣りも伊勢詣りも出来ず、餅や団子を売って日々を過ごしておりました。
或る年のこと、小槌屋は柿村に頼んで金比羅さんの御札を受けて頂くようにお願いしました。柿村は「承知しました。金比羅の御札を受けて来て上げましょう」といって、幾らかの金とお賽銭を受取ったのであります。
柿村は京都へ仕入れに行き、いつものようにその足で金比羅さん参りをしました。そうして小槌屋から頼まれたお札を受けようと思って風呂敷包みをひらいて見ますとお金がなくなっております。
さあ!大変です。柿村は顔の色を変えて探ねましたが見つかりません。よく考えて見ますと小槌屋からあづかった包の金を、お賽銭と間違って賽銭箱の中に投げ込んで了ったのであります。柿村はその事に気づきましたので早速社務所の係りの方に篤と話をしましたが、社務所の人は柿村が虚言を吐くものと考えて、柿村の話を取り上げて呉れませんので、柿村は自分の金を出して小槌屋から頼まれた金比羅さんのお札をうけました。
四国から本土に渡るには多度津から靱津へ渡るのが一番便利がよいので柿村はこの航路をとり、小さい船にゆられていますと、天空から何かひらひらするものが降って来ました。船に乗り合った人達も、不思議そうに空を仰いでいるうちを、一陣の風がさっと吹いたと思うとそのものは柿村の冠っている笠の上に落ちましたので柿村はそれを手にとって見ますと、金比羅さんのお札ではありませんか、日頃自分が信心している金比羅さんだと思うと、今年こそ運が向いて来たのだと大変喜びました。中浜の虚空蔵庵の金比羅さんはこのお札をまつったものだと云われます。