むかし佐渡の国から年に一度宛越後の国へ牛が送られて来ました。佐渡牛は赤泊から船に乗せられ、越後の寺泊か鯨波に陸上げせられ、鯨波に上げられたものは更に遠く飛騨の山奥まで買われて行くのでありました。
送られてくる牛は必ず牡牛で牝牛は一匹もおりません。赤泊の海岸には村役人が出張っていて一匹一匹厳重に検べて牝牛を積ませないようにしておりました。
船に乗せられた牛は、浪の静かな日に鯨波の海岸に到着致しますと、船は錨をおろしますし、陸では火を焚きます。準備が出来たところで牛を海の中に追いやります。そうすると牛は赤い火を見て急に狂い出し、角を振り立てて浅瀬を泳いで陸へ上がって来るのであります。その方法は鯨波でも寺泊でも同じでありました。
この佐渡牛についてはこんな伝説があります。
或る年のことでありました。一人の爺さんが赤泊りの海岸に出張っている村役人の前へ一匹の牛をひっぱって来て
「誠に遅くなってすみませんが、この牛も一匹お願い致します」と頼みました。
村役人の目も博労達の目も一せいに爺さんのひっぱって来た見るからに痩せ衰えた牛の方に向けられました。そうして村役人は
「こりゃ牝牛ぢゃないか、牝牛をこの島から出すのはご法度の事はお前も知っておろうに」ときめつけました。そうすると爺さんは
「ヘイヘイ百も承知ではご座いますが、何しろ働き手の息子と嫁はこの春一ぺんに亡くなりまして、今は残された孫達と三人で喰うか喰わずの難儀をして居ります。憐れと思って何とか曲げてお聴き届けくださいまし」
と更に頼むのでした。役人が
「それは気の毒ではあるが、働き手の牝牛を売って了っては早速今から困るだろうに」
と訓しましたが、爺さんは
「ハイハイ未だ後には、この奴がこの春に生んで呉れた仔牛が一匹残っておりますから、大丈夫でご座います」と一所懸命に頼むのでした。
村役人は今迄一度も牝牛を出した事がありませんので、その取り扱いに困ったのですが、それでも不幸な爺さん一家を助けるつもりで目をつぶって此牝牛を船に積み込みました。
船は沢山の牛を乗せ、幾艘も並んでその日の暮れ方に越後の海岸につきましたので、何時ものようにこの牛をみんな海の中に追い込みました。どの牛もどの牛も陸の火を目がけて泳ぎ渡りますのに、タッタ一匹は全く反対に沖へ沖へと泳ぎ出しました。よく見るとそれは、爺さんのつれて来た牝牛であります。
博労達があっけにとられて「あれよあれよ」と云っているうちにも、牝牛は暮れかかる海を一目散に佐渡をめがけてグングンと泳いで行くではありませんか。
「早く連れ戻さなければ大変だ」
と気がついて一隻の船が慌ててその牝牛を追いかけた時は、もう日は暮れてとうとう牛の姿を見失ってしまいました。
話はかわって佐渡の牛飼爺さんが或る晩にヒョイッと目をさますと遠くの方から聞きなれたあの牝牛の啼き声がきこえて来ます。
「オヤオヤわしの耳のせいだろうか、売った親牛のことばかり考えているからなあ」と独り言を云っていると、今度は牛小屋の方から乳房を吸うような音がシキリに聞こえて来るのではありませんか、爺さんは急いで牛小屋へ行って見ると、何の変わったこともなく広い牛小屋に仔牛が一匹淋しそうに座っている切りであります。
然しこんな不思議が幾晩も続いているうちに仔牛はメイメキ目に見えて肥って大きくなって来まして、年を越えて新しい春には一人前の立派な働き牛になりお爺さん一家の為に一所懸命に稼ぐようになりました。