柏崎市の名山米山の由来をお話したついでにもう一つ山のお話を紹介致します。
柏崎市の近郊で、比較的に高い山と云えば旗持山(城山三六六米)、米山(九九二米)、黒姫山(八八九・五米)、八石山(六一七米)の四つの山があげられます。
八石山は柏崎市の東南、山横沢村と中鯖石村、北條村の境界にそびえる一見何のへんてつも無い山でありますが、その山にはこんな話が伝っています。
昔の山の麓に百姓の夫婦が棲んでいました。夫婦の間にはたった一人の男の子がありましたが、この夫婦は掌の中の玉のように大変可愛がり、外の見る目も羨ましい程睦まじく暮らしておりました。
処が其の妻がふとした病気がもとで死んでしまいましたので、後妻を迎えましたが、そうすると今まで温かかった家の中が段々と冷たくなって行きました。殊に後妻に男の子が生まれてからは後妻は自分の生んだ子供ばかりを可愛がり、先妻の子を大変憎んで何時も無理難題ばかりを強いていましたので、先妻の子はその度毎に死んだ母を思い出してはさめざめと泣くのでありました。
或る日のこと、後妻は二人の子に豆を一握りづつ渡して、今日これから八石山の畑へ行って豆を蒔いて来るように命じました。二人は八石山へ行って後妻の命じたようにその豆を蒔いたのですが、実は後妻が自分の生んだ子に渡したのは普通の種豆でしたが、先妻の子には煎った豆を渡したのでした。
四、五日経って後妻は山の畑へ行ってみました。先妻の子の蒔いた豆の芽が出ないのを責め折檻の口実にしようと期待して行った後妻はびっくりしました。継子の蒔いた豆は全部芽を出さなかったのですが、只一本だけ生えていました。而も生いも生いたりまるで大木のように茂り、それに豆が鈴なりになっているのです。驚いて家へ持ち帰って量って見ますと、何と八石あったと云うことであります。
これは先妻の霊が我子がいとしいとてこのように生えさせたのだろうと村人は噂さをし合いました。
後妻もそれからは邪険の心が消え、先妻の子をも我が子と同じように可愛がったと云うことであります。
八石山の麓の村の専福寺の門柱はその豆の木で造ったものだと云われています。
八石山にはまだこんな伝説があります。八石山はどんなに豆のよく出来る土地ですやら、其処へ生える豆と草とは思えず立派な木でありました。或る日その豆の小枝が風に飛ばされて隣村の小国の部落へ落ちました。土地の人達は驚き且つ喜んで其の枝になっている豆を収めたところが、三つの桶にあまる程あったので、それから其の部落を三桶と呼ぶようになったと云われています。