佐渡の女と柏崎の男とを結ぶ哀恋の譜は「お光吾作」の物語りとして餘りにも天下に喧伝されておりますが、実は之には凡そ三つの伝説があります。
一つは寿々木米若のナニワ節で有名な所謂お光と吾作の物語り一つは「佐渡の女と番神堂の所化(僧)」一つは「舟頭藤吉とおべん」の伝説であります。
土地の人は一般に「お辨と藤吉」の伝説を眞実のものと信じているようでありまして、現に「おべんの松、おべんのおろ(洞)」の遺蹟と稱するものもあります。と云って番神岬の諏訪神社境内にある「お光吾作」の墓をお詣りする若い男女の多いところを見ると、この説を疑っている訳でもありません。要はそんな穿鑿はどうでもよいので、只一筋にこうした哀恋の事実を信じ、伝説中の人物に新しい時代の、新しい感覚による深い想いを寄するところに伝説を信じる良さがあるのではないでしょうか。
私は今ここに「番神堂のご坊と佐渡の女」「おべんと藤吉」の伝説を紹介する前に、詩人与謝野晶子女史が、この伝説の土地を訪ねられた時歌われた一句をご紹介いたします。
たらいふね荒海も超ゆうたがわず
番神堂の灯かげ頼めば
この歌碑はお光吾作の墓に隣接して建てられております
むかしむかし番神堂に一人の御坊が堂守りとして住んでおりました。 この御坊は夕方になると決まって御燈明をともして、お経をあげお祈りをするのでしたが、この燈が漁師にとっては大変よい便りになり、一晩中ともしておくように頼まれましたので一つには功徳になり又一つには漁師の為になるので喜んでこれに応じたのであります。ところがある嵐の晩、十時頃に雨戸ががたがたと揺れるのにまじって・・・ 「おたのみ申します。おたのみ申します。」と云う細い女の声が聞こえて来ますので、おそるおそる庫裡から出て来て「どなたでしょうか」と問い返しますと、ずぶぬれになった二十五、六才の女が髪を乱して立っていますので御坊は腰を抜かさんばかりに驚きましたが、それでも「どちらからこられたか、何の用があって」と尋ねました。 そうするとその女は「私は佐渡の者で漁に出て船は難船し、やっとこの浜辺まで泳ぎつきますと、こちらのお燈が見えましたのでやって参りました。どうかご迷惑でも一晩ご厄介になりたいのでご座います。」と息も絶えいるように申しますでの、御坊は大変気の毒がり、佛に使える身には、よい人助けにもなろうと思いまして早速爐辺に火を燃やし、自分の着物まで出してやったり体を温めさせたりしてやりましたので、彼の女はやっと人心地もつき喜んで翌朝漁船に乗って佐渡へ帰ったのであります。 ところがこの番神堂の御坊が非常に美男子でありましたので、佐渡へ帰りましたがどうしてもご坊の姿と親切を忘れることが出来ず、朝な夕な思い悩んでいましたが、或る日思い切って板一枚に乗って番神堂をめがけて泳ぎ出たのであります。 この日は割合に順風でありましたこと、女の一念は恐ろしく、番神堂の灯かげを頼りに難なく泳ぎついたのであります。 夢中で坂道を登り番神堂へ行き御坊に会い心のうちを綿々と口説きましたので、このご坊もついにその情にほだされてしまったのであります。 さあそれからが問題であります。毎日夜の十二時から一時頃になると訪れて来ては、朝方になると板子一枚で泳いで帰って行きます。毎日のようにこうしたことが続いたのではご坊も段々薄気味も悪くなりますし、近所の手前も悪いので何とかして思いとまらせたいと、再三注意したのですがとうしても聞き入れようとしません。佛に使える身がこんなことでよいのだろうか、考えあぐねて一策を案じました。これは毎日のおつとめの読経の時間を早くしてあかりを消すことだと思いついたのであります。 そしてその日は早く燈明を消してしまいましたので、彼女は目標がつかず、左へ泳ぎ右に漂い、とうとう番神岬にたどりつくことができなかったのであります。 翌朝漁師が浜辺に行くと板子が一枚浮いていますので不思議に思って近寄って見ると、哀れにも彼女は板をしっかりつかんだまま死んでいたのです。 その女の腰の方にうろこ様のものがついているし、手には水かきのようなものがついていたと云う噂が近所にひろまり、彼女への同情はきう然と沸きました。 ご坊はその後は一生読経と燈明に身を捧げ、燈台の役目を果たすと共に哀れな女の冥福を祈ったのであります。
柏崎に佐渡通いの舟がありました。船頭を藤吉と呼んでいました。藤吉は佐渡の小木でおべんという女に見染められ二人は仲よく暮らしていました。
ところが藤吉には国もとの柏崎に立派な家があり、そこには女房も子供もおりましたし、海の荒れる冬になれば船もかこわなければならないので佐渡を切りあげて柏崎に帰ってきました。
藤吉は国もとへ帰りましてからは、おべんに逢うのが何となくこわくなりましたので、その後は一度も佐渡へは行きませんでした。
ところが一人佐渡に残されたおべんは、どうしても藤吉を忘れることが出来ません。とうとう意を決してたらい船に載って荒海を漕ぎ、番神堂の灯かげを頼りに藤吉のところに通って来るようになりました。
妻子のある藤吉の身にして見れば、こうしたことがしょっ中続いたのでは全く困り果ててしまいます。
何とかしなければならない。それにはおべんが佐渡から海を渡って来る時の目標の、番神堂のお燈明を消しておくのが一番よかろうと云うので或る夜番神の御燈明を消してしまったのです。
目標を失ったおべんは、一夜中浪に漂いとうとう果敢なない水死をとげてしまったのでありますが、おべんの死んだあとを見ますと、たらいが一つに、おべんのなきがらは一匹の蛇になって深い想いを日本海の荒海に浮かべていたと云うことであります。